22/9/26~10/2まで練
9/26(月)→通勤のみ
通勤のみのレストな月曜日。
9/27(火)→朝通勤+夜Zwift練
Zwift - Group Workout: Long | Depleting Workout | ZA Road 2022 on Roule Ma Poule in France に参加。ZwiftAcademyメニューを消化したいというのが一番のところ。3本ローラーにて実施。
今回はつい避けがちな長めのFTP領域メニュー。10分区間は目標がFTP下限値なので我慢が出来れば完遂できるが、長いのが辛いし苦手。ただ苦手なメニューができたので良しとしとく。
9/28(水)→朝通勤+夕練
前日のワークアウトのダメージを感じるので、こんな日はゆっくりと実走しようと夕練は40㎞を90分ほどかけてはしる。コースも平坦基調の区間を結んで。日没が日に日に早くなってきていると感じる。帰宅するころにはすっかり日が沈んでしまっていた。
9/29(木)→朝通勤+夕練
木曜日は実質レストな休脚日なので、この日もまた同じく夕練は50分ほどゆっくり走るだけ。翌日金曜ランバー練のために回復に努めるというのもいつも通り。
9/30(金)朝ランバー練+通勤+夕練
金曜日は朝ランバー。集合場所へいくと、宮大ジャージの子が来ている。なんと!うっちー参戦。去年もだったが宮崎に帰省?の際に練習会に来てくれるのが非常に嬉しい。
1周目 12:51 188W
2周目 11:18 237W
3周目 10:43 268W
なつかしいメンバーにてワイワイと走りたいところだけど、この練習会はそういうのはないらしく、濃い霧の中を黙々と強度を上げて走る容赦ない練習内容。。
3周目は霧の中も良いリズムを刻めたと思う。ラストのスプリントではくろきさんに敗れ踏みやめてしまったので、差されるにしても最後まで踏み続けるメンタルが引き続き課題だなと感じた。
タイム的にも10分40秒台は非常に良いのだけど、うっちーやなかむらくんたちと走っていたときは2周目から10分30秒切って余裕で周回してたなっての思い出すと、あの時のメンバーの走りに感服するばかり。真面目にドクターをやっているおかげで無事?に弱体化しているようだけど、また職場で権力つけて余裕が出てきたら練習を再開して鍛えて下さい。
練習終わって昔と同じく自転車の話題で盛り上がって楽しい時間を過ごせた。ありがとうございました。
夕練はいつも通りランバー練を朝やっているので、ゆっくり時間ボリュームだけを乗る感じにて、一応有酸素能力を鍛えているつもり。
10/1(土)通勤のみ
翌日が太平洋ライドなので、いっぱい走るだろうからということにてバイク整備のためにも夕練せず直帰して翌日準備に勤しむ。
10/2(日)MIYAZAKI太平洋ライド2022練
MIYAZAKI太平洋ライド2022にサポートライダーとして参加。以前はグレートアース等の名称で行われていたイベントにて過去に宮崎にて8回ほど開催されていたイベントらしいが、実は初めての参加となる。県内のレースイベントはほぼ出ているが、逆にこうった県内のライドイベントには参加することがなく、ライドイベント自体も実は過去には1回しか出たことがない。(※児湯グルメライドに出たことがある。ただこの時は参加者として出ていたので初めてのサポートライダー)
そのためか何となく前日から緊張。どうやって走ればいいだろうか、サポートちゃんとできるだろうか、コース間違えしないだろうか、そんなこと考えると不安な気持ちに。何度もルートをチェックしてたりするとなかなか寝付けない状態に。。(←普段の練習にも海岸線や日南方面は交通量が多く走りにくいのでセレクトしない。)
そういえば昔はレースのたびに寝付けず睡眠不足になってたよな・・というのを思い出す。今は慣れすぎて緊張感がないのかレース前は爆睡してしまっているけど。おかげで初心を思い出すことが出来たのでよかったか?
ちなみに寝不足でも当日のパフォーマンスには影響しないというのが自論。アドレナリンにてレース中は眠いとかそれどころではない。
そんなこんなで寝不足な日曜の早朝から自走にてスタート会場のサンマリンスタジアムへ向かう。早朝なので交通量も少ないだろうと、南バイパス使ったら思いのほか距離も近く30分もかからずに到着。普段は交通量や練習のしやすさから椿山方面から行くイメージがあるので、椿山経由だとかなり遠回りしてたんだなと実感する。
会場には暗い中から参加者やスタッフが集まっていた。県外ナンバーの車も多い感じ。
スタッフの受付を済ませて当日の準備を開始。
サポートライダーには、スタッフ用ビブスが渡るのだけどそのバタつき防止として安全ピンで止めまくっていたら、仲間よりヒンシュクを買うはめに。一体何をしにきたのかと・・。。いや、だって先頭グループをリードするのでスゲー速い人がいたらご迷惑かけないペースで走れないかもしれないので。少しでも長く牽けるように頑張らねばと思っていたのだけど、そういう需要はあまりないらしい。サポート=アシスト(前を牽く)というわけでなく、根本的に概念がズレている模様。
スタート時間が迫るにつれ、どんどん集まってくる当日の参加者の多さにビックリしたけど、他県のイベントだとこんなもんじゃないらしい。こんなにサイクリストが集まるんだと感心しきり。そして様々ライドスタイルがあるだなとバイクや人をみて思う。そんな完全アウェーな中でサポートライダーの仕事をスタート。一応先頭付近グループのペースと道案内、サポートをするのがお役目なはず。
スタート後、はますなさんといけださんの3名でパックを作って走行を始める。すぐにバラけて先頭は一般の方は3名ほどになってしまったので、自分は後に下がって走行パックを作ろうと後退。けど全然上手くいかない。。上手くまとめることができず一人になってしまうので、何がしたいんだ状態。仕方ないので各道の右折や左折ポイントで立哨しながら走ることにする。
もしかしたら皆一人で走りたいのかもしれないそんなことを思っていると、くろきさんが10名ぐらいグループパックを引き連れて登場。う、うまい。ああいう風に後続の走りやすいペースを作らねば!と思って再度チャレンジ。けど全く上手くいかず。
普段の勝手と全然違い戸惑うばかり。結局くろきさんパックの最後尾について仕事している感だけ出しながら最初のエイド田野の道の駅の到着。
田野のエイドでは、なんとKawasakiのレジェンドライダーである柳川選手を発見。恐れながら話かけると気さくに色々とお話くださる。どうやら先頭パックで走っていたよう。さすが体力ベースと2輪でのセンスが違う。ちなみに51歳とのこと。柳川選手はワールドスーパーバイク選手権(市販車ベースの世界選手権)にて当時はドゥカティのツイン1000が絶対的に速い時代にカワサキの並列4気筒の750で対抗し何度も優勝を上げた選手でまさに日本の誇るレジェンド。カワサキがMotoGPに参戦する際はその開発ライダーとして抜擢されたのも有名だし、個人的にはオートポリスにプロトタイプで全日本参戦していたのを観戦しに行った思い出もあり、その際のスピードや爆音に度肝を抜かれた記憶がよみがえる。当時のMotoGPはトラクションコントロールの電子制御などなかったので、コーナーの立ち上がりのたびに後輪がスライド&白煙上げながら爆走していたな。。
そんな選手とお話ができてしかも、一緒に走れると思うだけでテンションが上がりまくり。田野エイドを出たら柳川選手と一緒に走ろうと勝手に願望する。(このイベントにはプライベートで参加されていたとおしゃっていたので、後々考えるとベラベラと話しかけて申し訳なかったと反省。)
https://www.akira87.com/profile/
そんなこんなしてたら、外国の方が一人先にエイドよりスタートしてしまったらしい。なのでここから前に行ってしまった数名を捕まえるお仕事が入る。柳川選手と走りたかった、、と思いながら先発した方を追って頑張る。しばらくして無事回収。そこからは飫肥城のエイドまでしっかりとまじめに仕事した先頭を牽いてペースを作る。かなり速い方だったのでこっちのペースに合わせてくれて走り易い。そのまま飫肥エイドまで到着。
飫肥エイドからは飫肥・日南の街中を抜けてからは海岸線沿いをフリーモードで牽く。風田ではいつも通り風が強く、自分を含めた3名パックに。ここに柳川選手が残っていたので、今日はこの方をアシストするに来たんだと勝手にスイッチが入り力の限り牽いて先導頑張る→無事に潮の駅に到着ししばしの休憩。
潮の駅からは再度先頭グループの隊列を整えてはますなさん、いけださんとローテしながらフェニックス道の駅を経て、ゴールのサンリマリンスタジアムまで。こちらも無事到着。
結局、田野の道の駅からはほぼ前を牽いていたので練習となんら変わらない強度となってしまっていた。なので個人の練習としてみるとかなり満足してたり。なんと言っても柳川選手と走れただけで感無量。個人的には非常に終始楽しく走れた。
が、サイクリングイベントとしての走りではなかったようで、次回はサポートライダーとしては呼んでもらえないかも。。
後半は前を牽いていたとはいえ、自分のペースで走って、各エイドではすべて完食してたりと申し訳ございませんでした。
とはいえ、すごく楽しいライドでした。一緒に走って下さった皆様本当にありがとうございました。あ、エイドの食べ物はどれも美味しかったです。
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